五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)と聞いてピン!と来るあなたは日本史の成績は相当素晴らしかったのではないでしょうか?
今、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)という人物は歴史の教科書にも載っていないほど、日本史という大きな流れの中では取るに足らない人物ではありますが、松井優征先生の「逃げ上手の若君」という作品ではかなりパンチの効いた鬼畜武将として表現され注目をあつめています。
日本最大の公開プラットフォームである週間少年ジャンプの中でも異彩を放つ作品となりつつある松井優征先生による「逃げ上手の若君」は毎週のようにトレンドに上がっているため、歴史の教科書には登場しなくとも太平記という日本の古典文学のベストセラーに登場する五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の描き方もかなりエスプリが効いているはずです。
今回の記事では太平記では少し登場した、日本史の中でも指折りの裏切り者として名を馳せた五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)について、裏切りの経緯や鬼畜武将とまで呼ばれるにいたった理由。
そしてあまりにも救いの無い悲しい最後を送った事情などをまとめました。
五大院宗繁とは?
五大院宗繁とは一体どのような人物だったのでしょうか。
「逃げ上手の若君」という作品では主人公である北条時行の母違いの兄の北条邦時が第一話ですでに斬首されていますが、その亡くなった主人公の兄である北条邦時の伯父に当たる人物が今回のメインテーマとなる五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)です。
もっと簡単にお伝えすると、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)は主人公の北条時行の義理の伯父に当たる人物ですね。
そのような立ち位置であれば、読み手としても五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の立場であれば甥っ子である北条邦時や主人公の北条時行の味方になってあげるべきだと考えるはずです。
しかし、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)と言う人物がなぜ作品における注目が集まってトレンド入りを果たせるのかと言うと、甥っ子達を守った義侠心や忠義などではなく、9歳の北条邦時を秒で敵に売った男として名を馳せてしまったためでしょう。
武士道とかを抜きにしても、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)が出世した一番の理由は、彼の妹が北条高時の側室となって甥っ子の北条邦時が生まれたからこそなのに、そんな自分の甥っ子を敵方に売ってしまったことが実は歴史的に見ても重要度の高い裏切り行為だったのです。
逃げ上手の若君に登場した五大院宗繁
「ジャンプ」買ってきた! 『逃げ上手の若君』、めっちゃ面白かった〜。来週が楽しみすぎる…続きが気になってしょうがないよ〜。 pic.twitter.com/2nd8xlMA1g
— 秘書[空想科学研究所] (@mayumitygmailc1) January 25, 2021
とにかく「逃げ上手の若君」はめちゃくちゃ面白いです!
少年ジャンプという雑誌は売上的に見ても今だに国内のトップをひた走るモンスター的存在ですから、連載を勝ち取るだけでも漫画の天才達の中でもトップオブトップであることは間違いありません。
そんな少年ジャンプに「魔人探偵脳噛ネウロ」 や「暗殺教室」と言ったアニメ化や映画化も成し遂げた実績を誇る松井優征先生が三作目として連載する作品は個人的に歴史モノという結果が分かってしまう独創性に欠けるテーマには意外性を感じましたが、逃げ上手の若君は敵対するキャラクターが魅力的です。
夜勤ということで #麒麟がくる はまだ見れてないけど、帰りにジャンプ購入して #逃げ上手の若君 は読んどきたい。
松井先生は五大院宗繁なんてよく見つけたと思うよホント。日本人の九分九厘が北条時行以上に知らんわそんな奴。
悪名だけどジャンプ読者からは名前を覚えられるぞ、良かったなw pic.twitter.com/aGz0aj3l3E— 天地百八❖ (@TenkouTisatu108) January 31, 2021
松井優征先生の描く五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)はただの悪党では無く、凄まじき裏切りの鬼畜武将として恐ろしくも憎めない表現がほどこされています。
松井優征先生曰く、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の評価は、
歴史的重要度★★★★(四つ星)
不忠土 ★★★★★(五つ星)
恥知らず度★★★★★(五つ星)
非人道度 ★★★★★(五つ星)
速攻度 ★★★★★(五つ星)
姑息度 ★★★★(四つ星)
強欲度 ★★★★~(四つ星以上)
知名度 ★ (一つ星)
というあまりにも尖ったスペックで表現され、9歳の幼子である北条邦時を秒で売ったと松井優征先生は表現しているところがなんともインパクトのあるキャラクターです。
鬼畜大賞1333のトロフィーを涙目でで獲得しているシーンが最高過ぎます。
だからこそ、逃げ上手の若君に登場する敵の中でも欲深き鬼畜として地の果てまで負ってくるオニとして五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)を表現するあたりは太平記という日本のベストセラー古典文学を凌ぐところだと思われます。
裏切り者の鬼畜武将と名高い五大院宗繁の最後!
五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)は逃げ上手の若君の最初の敵として常軌を逸した不忠者として主人公である北条時行の命を狙う立場として、序盤を盛り上げるのに一役を買ってくれていますが、史実ではどのような最後を迎えたのでしょうか。
『逃げ上手の若君』、ゴザと茶碗で乞食に身を窶した五大院宗繁を伝承通りに描写したかと思いきや、そのガジェットを活かしてチンチロにスライドさせるのは巧いな。桃鉄の前振りがギャグだけじゃなくて、人生ゲームの上がりを狙う動機を掴んだ宗繁の豹変にも繋がっている。
— ハイジ (@julietcetra) January 31, 2021
松井優征先生の描く五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)はその表現方法が巧みなため、すでに多くのファンの心をガシッとつ掴む大悪党として認知されつつあります。
今更ですが、逃げ上手の若君という人気作のネタバレになるので、もしも太平記にある結末を知ることで少年ジャンプを読む楽しみが減ってしまうと思われたらブラウザバックをお願いします。
ここまで読んでくださって感謝いたしますが、太平記と逃げ上手の若君における五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の違いが知りたいと思われたらぜひ流し読みでもしていただけたら嬉しいです。
太平記における五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の最後は新田義貞側に北条邦時(主人公の時行に兄)を自分の身可愛さに居場所を案内して差し出して斬首させてしまった行いは不忠者の極みとして受け止められています。
他にも北条氏にゆかりの有る者を差し出して助かった人も大勢いる中でも、まだ9歳だった主君の子であり自分の甥を売った五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の不忠義ぶりには新田義貞は激怒し、褒美をもらえるどころか五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の首をはねるべしと言う命令がくだりました。
五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)のような忠義に反する行いに対して報奨を与えるのは、このような不忠の極みがまかり通ってはい行けないと言う新田義貞の怒りの判断をくだしたのです。
てっきり褒美がもらえて大手柄を期待していた五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)は首を来られるとは思わず必死に逃げましたが、逃げたところで誰一人として五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)を助けようと思う人は現れず、不忠義者に対して食べ物を与える人もいなかったため乞食のような立場に身を落として恥辱を味わった後に餓死したとされています。
1333年という時代は武士の生き様として、特に忠義を重んじる思想が強く、足利高氏も驚くべき裏切りをしましたが、そこには大義名分が存在し、後醍醐天皇への忠義という御旗の錦があったものの(後でその後醍醐天皇とも対立しますが)五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の裏切った相手は9歳の実の甥っ子であったり我が身可愛さが際立っていたことが大きなポイントですよね。
これは潔く首をはねられた方がまだ楽な最後だったように思えますし、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)はとても悲惨な末路であり、不忠義者としてはこの上ない最後とも言えますね。
逃げ上手の若君に登場した五大院宗繁のまとめ
太平記に登場する五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)は自分の身可愛さから不忠度が高すぎる行動ゆえに相当悲惨な最後を送るはめになりましたが、「逃げ上手な若君」の中での五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)はどのような最後を送るのか気になりますね。
原作となる太平記以上に可愛そうな最後を送るのではないかと思いますし、日本史上屈指の鬼畜武将として名を残した五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の最後を松井優征先生がどのように描くのかが結果を知っていてもなお早く読んでみたい気持ちになります。
やはり北条高時への大きな恩を受けながら、その恩義に応えるどころか、五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)の出世に一役買ってくれていた9歳の邦時への忠義も速攻で裏切ってしまった報いは本人が予想していた以上の形で訪れました。
令和になった現在でも忠義に関する考えかたをわかりやすく重く受け止めることの出来る太平記と「逃げ上手の若君」からは多くのことを学ばせてもらえそうですね。
今回の記事も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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