三菱重工が以前から開発に莫大な資金を投入してきた初の国産ジェット旅客機の計画が中止になることが事実上決まってしまったことが今日(2020年10月22日)の話題では最も多くの関心を集めています。
航空機は非常に開発の難易度が高いことは有名です。
1機のジェット旅客機を作るのに必要な部品は300万点を超えるとも言われています。
300個のパーツのプラモデルを作るのでも大変なのに、300万個の部品が必要な開発だと考えると国産どころか、よく欧米勢は開発できたものです。
その技術の高さに驚かされますが、日本国内でも開発が実を結んでいれば素晴らしい偉業だっただけに今日の三菱重工が国産ジェット旅客機の開発が凍結することが確実視されたという報道は非常に残念です。
今回の記事では、三菱重工の国産ジェット旅客機の開発にはどれほどの開発費が投入されていたのか?
そして、三菱重工の国産ジェット旅客機は早い病による需要の現象が開発中止の原因と今日の記事ではありましたが、もっと踏み込んで調べてみた内容をまとめました。
三菱重工の国産ジェット旅客機の開発費は?
三菱重工が国産ジェット機の開発をしていたことは、知っている人にとっては常識かもしれませんが、普段の生活で飛行機に乗りたいと思うことはあってもジェット旅客機の値段や、その開発費について気にすることは少ないと思います。
三菱重工はMRJとして2008年に事業化して開発がスタートさせています。
ちなみにMRJとは
M=三菱
R=リージョナル
J=ジェット
の略称です。
当初のMRJによる予定では、納入時期は2013年と言われていました。
ですが、様々な事情(後半に記述しています)によってジェット旅客機の納入は遅れに遅れて、開発費用は想定の何倍にも膨れ上がっています。
ジェット旅客機の開発費には巨額の費用が投入されており、2年前の2018年の時点で当初の想定されていた金額は1500億円ほどだったようですが、その4倍の6000億円規模になっています。
さらに、2020年に納入を予定され、2000億円規模の資金を追加で投入することも決まっていたので、計画が凍結した今(2020年10月22日)となっては1兆円近い開発費が投入されていたようです。
海外のジェット旅客機自体の価格は安くて250億円から高くて500億円ほどです。
機体の大きさに価格が比例するのは当然としても、開発費はそのジェット機の価格の何十倍もするのだから普通の生活をしている人の金銭感覚では正直、どんなお金の流れなのか想像し難いですね。
三菱重工の国産ジェット旅客機の計画中止の原因は?
三菱重工による国産ジェット旅客機の計画の中止の原因は、ニュースによると世界規模で蔓延している流行病による影響が計画に大きな影響を及ぼしたそうです。
そのため計画が仮に成功したとしても、納入先の航空会社の需要がしばらくの期間は見込めないとの判断によるものです。
そもそも、納入先の需要快復の見込みがあったとしても、ノウハウ不足によって過去に6度も納期を延期したり開発費をその都度なん千億円も入れていたので日本の産業政策にとっては相当なダメージになることは間違いなさそうです。
ここまで素晴らしいジェット機が作られていただけに、計画が途中で凍結することは本当にもったいなく思いますし、関係者の方々はより無念だったと思います。
三菱重工のMRJはすでに大幅な計画の見直しや人員削減も
日本初となる国産ジェット旅客機の夢が実現出来ない可能性が極めて高くなってしまったことは非常に残念ですが、過去の計画の流れを調べると決して順調に事が運んでいたわけではないようです。
その予兆として今年の5月にはMRJはすでに国産ジェット旅客機の計画に大幅な見直しや人員も削除し始め、量産の停止や海外拠点の再考など色々な軌道修正や予算の切り詰めという修正作業に追われていて、計画の完成とは程遠い動きがありました。
なので、今日のニュースでは事実上の開発の凍結と一面にありましたが、それ以前から開発の休眠かつ規模縮小の流れが進んでいたようです。
三菱重工のMRJによる当初の計画の理想の高さ
MRJの計画当初のイメージとしては、最先端技術を使用して燃費を大幅に削減して快適な客室空間を実現した三菱航空機が開発しているジェット機でした。
「環境適応型高性能小型航空機」
というものです。
簡単に言うと、環境に良くて高性能でコンパクトな飛行機ですね。
環境面にも配慮し、快適性と運航経済性を兼ね備えたものなので、官民挙げてのビックプロジェクトでしたから、当初の計画に必要な予算もどんどん倍増してしまい引くに引けなくなった感もあります。
MRJ凍結かぁ
試験機十数機作って飛ばすところまで行ったのに…… pic.twitter.com/41cazYp44B
— (@noriyoshi_photo) October 22, 2020
一時は日本初の国産ジェット旅客機の開発も順調に見えましたし、本当に実現するかもしれないという期待に胸を弾ませた人も多かっただけに、今回の報道は非常に受け止めたくないと感じた人も多かったようです。
日本初の国産ジェット旅客機は意外?
僕が航空業界に疎いため、意外だなと思ったのは日本人は海外旅行もよく行くし、旅行業者も多いのだからジェット旅客機もすでに国産のものだと思っていましたが、実はそうではなかったことに意外性を感じました。
日本企業が作った旅客機自体は約50年前にYS-11という飛行機を作っていたようですが、ジェット旅客機は国産の機体はないのです。
50年前のYS-11は旅客機ではあったものの、ジェット機ではなくプロペラ機だったようですね。
YS-11は民間で使用された後に自衛隊にも使われていましたから自衛隊に詳しい人ならご存知かもしれません。
さらに、YS-11のあとにプロペラの旅客機からジェット機への計画も国内であったそうですが、自力では難しかったため海外企業と協力していたそうです。
ですが、計画段階での撤退せざるを得なかったり、海外企業に計画の主導権を握られ日本で作ることが出来ない状態で終わっています。
もしかしたら、その海外企業との共同で取り組んだ計画を日本が主導権を握ることができていれば、MRJよりも先に初の国産ジェット旅客機が誕生していたかもしれません。
三菱重工の国産ジェット旅客機の開発費と計画中止についてのまとめ
三菱重工による国産ジェット旅客機の開発が実質上の凍結が決まってしまったという残念なニュースでしたが、この報道をきっかけに国内で今も開発が進められている様々な問題にも興味を持つ人が増えるのでは無いかと思います。
1機のジェット機を作るのに必要な部品は300万個とも言われ、機体は1機につき250億円~500億円もかかります。
さらに開発費は三菱重工によるMRJとして様々な開発の過程で、おおよそ1兆円に近い費用がかけられていたのに実を結びませんでした。
計画の中止理由としては、今年は海外渡航への需要が激減し、納入先の需要が見込めないことから日本初の国産ジェット旅客機の夢は一時的に終りを迎えそうです。
三菱重工のMRJ凍結のニュースマジかぁ…
戦後GHQに日本の得意の航空産業が解体されて、60年以上技術継承がされなかった分野の、希望の星やったのに、、、
悲しすぎるンゴ。
— ちゅーや (@chuya42ut) October 22, 2020
実際は海外との協力でMRJよりも国内初のジェット機旅客機が生まれるチャンスはあったのかもしれませんが、権利の問題などが上手く行かなった経緯もあります。
今後、また世界規模でジェット機旅客機の需要が増えたら計画の再開もあるかもしれないので、凍結が解除されることに機体したいと思います。
今回の記事も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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